●権堂アーケード –
権堂にもっと笑顔を、賑わいを。
行き交う人に安らぎ与えた「まちの縁側」。

まちの縁側9月29日、長野市の権堂アーケードで、町を行き交う人たちが気軽に立ち寄れる「まちの縁側」がオープンした。

シャッターが下りている店舗が目立ち、閑散とした雰囲気も漂う最近の権堂だが、第3地区まちづくり協議会福祉保健部会の会員が、「町に活気を呼び起こそう」と空き店舗を活用して、1日だけのサロンを開いた。

会員たちは、オープン空間にテーブルや縁台、椅子を置き、誰もが自由に利用できるように工夫。午後1時から4時までのオープンとなったが、訪れた人にチャイ(紅茶)を振る舞ったほか、ピアノの生演奏も行われ、ゆるやかな時の流れの中で「権堂ロマン」にしばし酔いしれた。

権堂町は、昔から長野県随一の繁華街、歓楽街といわれてきた。

善光寺表参道、北国街道沿いに位置することから、「善光寺参りの精進落とし」の花街として賑わってきた歴史もある。

そもそも「権堂」の名は、アーケード街の西側にある往生院という寺に由来する。鎌倉時代に源頼朝の命で善光寺が再建される時、本尊の阿弥陀如来像が一時的にこの寺に移された。このため、「仮堂」の意味であたり一帯が「権堂」と呼ばれるようになったのである。江戸時代には善光寺町のうち、幕府領権堂村となった。

江戸時代から、権堂村の遊郭が客寄せのために催していたのが煙火会(花火大会)だった。当時の隆盛ぶりは「商店、旅館の繁昌は云うばかりではなく、料理屋、飲食店は客で充満し、遂にはどこへ行っても芋の煮ころがしひとつ買うことの出来ぬほどの盛況を呈せり」と記されるほどだった。

煙火会は、明治32(1899)年、長野えびす講煙火大会に変わった。現在も、全国各地からたくさんのファンが華麗な「真冬の花火」を楽しみにやってくる。そのルーツをたどれば、権堂村の遊郭の煙火会にたどりつくのだ。

権堂は、そうした町のエネルギーを潜在的に秘めている町。今、町の活性化に向けて、様々な再生計画を練っている。

「人と人とが交流できる場をもっと作っていきたい」と話す古藤恵美同部会長。「まちの縁側」は、今後も定期的に開いていきたいというが、地道な試みがいつか花開くことを期待したい。

第3地区まちづくり住民自治協議会
◆問い合わせ ☎026-262-1325

写真提供:山田信久(第三地区まちづくり協議会事務局長)

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