●堂童子行事 -
善光寺の年越し行事は
白装束の堂童子によって厳かに行われていた。
知ってたあなたは、かなりの善光寺通!

堂童子行事年の暮には、どこの家庭でも天井や壁などにたまった煤払いをしたり、床や窓を拭いたりと家の掃除に精を出すものだ。

長野市にある国宝善光寺にも、1年を締めくくる古式ゆかしい年末行事がある。

「堂童子(どうどうじ)行事」と呼ばれる習わしで、今年も12月1日、その年の堂童子当役を務める宿坊の門に「御注連(おしめ)張り」をすることから、一連の行事が始まった。

堂童子役? 聞きなれない言葉だが、これは12月31日から1月15日まで、白装束で本堂に籠もり如来様への供物、灯明を絶やさぬようにお仕えする役のことをいい、江戸時代初期の寛永20年(1643)にはすでに堂童子行事が行われていたという記録がある。

堂童子行事午前8時過ぎ、今年の堂童子役を務める随行坊に、本堂での法要「お朝事」を終えた浄土宗一山の住職ら15人が参集。本尊前で読経した後、この行事の始まりを祝い、座敷で赤飯を食した…らしい。こうして寺全体を清めることで、善光寺の年越し行事が始まりを告げるのだ。

善光寺参道の東側、凛とした空気に包まれた宿坊が連なる路地を行く。。随行坊の門に張られたしめ縄が、新しい年の訪れを晴れやかに待つ。

「今年は東日本大震災などの災害に見舞われた年。来年はよい年になるように、その祈願を込めて、堂童子を務めていきたい」と、隋行坊の若麻績悦史住職。

16日には「釜祈祷」という行事が行われた。

大勧進貫主名代の堂奉行が堂童子役の寺へ赴き、如来様へのお供えを炊くために新調された「かまど」を祈祷するという行事だ。

12月二の申の日(今年は21日)には、御越年(ごえつねん)式が行われた。

善光寺如来のお年越しは、私たちの年越しとは異なり、古来より12月二の申の日と決められていて、その儀式を御越年式というのだ。

当日の深夜、善光寺境内の明かりはすべて消され、本堂の扉をすべて閉めきった漆黒の闇の中、大勧進貫主が「無量寿供」という秘法を人目にふれることなく、厳かに勤める。

私たちの目にふれることのない秘めやかな行事だが、唯一「四門固め(しもんがため)」という行事だけ見ることができる。これは、小さな白木の三宝に「おからこ」と呼ばれる餅を丸めたものと、米粉で作った「ねねつぶ」とを乗せて、境内の内外にお供えして歩くもの。その様子は暗闇の中だけに、まさに神秘的。

この夜は「如来様のお年越しの日」ということで静かに過ごし、翌朝早く、一年間の幸福を願って「おからこ」を拾う習慣がある。

そして、12月28日はお煤払い。

堂奉行(天台宗)と堂童子をはじめとする浄土宗の僧侶たちが一緒に行う。堂奉行は本尊がおられる瑠璃壇に入って宮殿の扉を開き、本尊をお納めしている笈厨子(おいずし)の埃を払うのだ。その間、堂童子ほか浄土宗の僧侶らによって、外陣、内陣、内々陣が清められていく。

こうして、善光寺は新しい年を迎えることになるのだが、意外に知られていない国宝の寺の年越し行事だ。

随行坊
◆所在地
長野県長野市元善町441
◆問い合わせ
☎026-232-3667

長野県長野市長野元善町441

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