●ながの祇園祭 –
華麗な屋台がいざなう懐かしき良き時代。
長野の町に歴史ある祭りが蘇る!

ながの祇園祭優雅さと豪壮さを秘めた「ながの祇園祭」が、この夏復活する。

長野市内で7月15日(日)に行われる、弥栄(やさか)神社御祭礼の屋台巡行。市内の目抜き通りに各町が華麗な屋台を出し、踊りやお囃子を繰り広げながら練り歩くというものだ。御祭礼はもともと「長野の祇園祭」とも呼ばれ、江戸時代の文献にも登場する歴史的な祭りだった。

いつごろから始まったものかは定かではないが、中世の御霊会(ごりょうえ)や善光寺の祭礼が起こりだとする説などがある。平安時代初期に、疫病の流行に際して京都の祇園社(八坂神社)が催した御霊会がその始まりといわれ、繰り出される山鉾、長刀鉾の華やかさで知られ、いまでも京を代表する祭りになっている。

善光寺のお膝元・長野の祇園祭もそこから伝えられたものと考えられ、江戸時代から明治にかけて隆盛を極め、京の八坂神社、広島の厳島神社と並ぶ日本三大祇園祭の一つにも数えられていた。その昔、加賀前田藩の行列とぶつかることがあったが、かの前田候の行列さえもへこますほどの熱気と迫力ある祭りだったという。

長野祇園祭は、当初は善光寺門前を中心に行われていたが、その後参加町も増え、大正時代後期には、いまの中央通りに面したすべての町が参加するようになっていった。

昭和30年代までは毎年行われ仏都の夏の風物詩として全国的に知られていたが、昭和40年から続いた松代群発地震の影響、そして最近では重い屋台の引手の不足や資金難で、善光寺の御開帳に合わせた開催のみに限られていた。

ながの祇園祭そんな町に「もう一度、祇園祭を復活させよう!」という声が昨年11月頃から高まり、屋台運行実行委員会が発足した。市や長野商工会議所、長野青年会議所、一般企業などの協力を得て、夏の観光の売り物として定着を図り、中心市街地ににぎわいを取り戻そうというのが狙いだ。

「長野市街地を活性化させたいという思いが一番ですが、昨年3月11日に起こった東日本大震災の犠牲者の方々の鎮魂や復興への願いもあります。祭りを継続させることで、そうした思いをつなげていきたい」とながの祇園祭屋台運行実行副委員長の武井義忠さん(南石堂町区長)。

昔は御祭礼に加盟する20カ町のうち屋台を持つ町全部が巡行したが、資金的問題もあり今回は年番町の南石堂町、元善町、新田町、権堂町の屋台4台が巡行。北石堂町が置き屋台で参加する。

ながの祇園祭馬にまたがり、巡行の先陣を切る「お先乗り」役は、栗田の倉石和明氏3男・桂長君(11)が務める。さらに、巡行を盛り上げる「俄物(にわかもの)」と呼ばれるカーニバルも行われ、今年度末で閉校が決まった後町小学校の子供たちがのびやかなパフォーマンスを見せる。豪壮にして華やか。悠久の祭りが長野の夏を彩る…。

ながの祇園祭
◆日時 7月15日(日)10時~17時
◆場所 長野県長野市中央通り周辺
※屋台の詳細な運行コースは当日配布のパンフレットで
◆問い合わせ ながの祇園祭屋台運行実行委員会☎070-6661-0680

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