●BOOK -
「シリーズ藩物語 松代藩」(田中博文)
親兄弟の血縁を断っても守り抜いた「真田」の家名。
あの時代、信州最大の藩で何が起こっていたのか?

松代藩江戸時代、徳川将軍家の下には全国に300諸侯の大名家があった。現在、その家中を「藩」と呼んでいるのだが、当時「何々藩」と呼ぶことはきわめて稀で、明治以降になって使用されるようになったといわれる。

そうした全国諸藩の歴史を物語風にまとめたのが「シリーズ藩物語」(現代書籍)で、このほど「松代藩」(1680円)が刊行された。歴史をただ学術的に追うのではなく、誰にでもわかりやすい物語として紹介しているのが特徴の人気シリーズ。

すでに、弘前、米沢、会津、高田、土佐藩などが刊行されており、長野県でも新刊の松代が上田、小諸、松本、高遠に続き5巻目となる。

江戸時代、信州では石高が最も多い最大の藩であった松代藩の物語は、本書では武田信玄vs上杉謙信の川中島の戦いからそのページが開かれる。よく知られた経緯とはいえ、山本勘介による海津城築城から武田、織田、上杉、豊臣とめまぐるしいほどの領主の変遷などが丹念に描かれている。

松代藩著者の田中博文さんは、出版社勤務を経て、現在、出版・編集工房「光風舎」を設立し、地方史研究家として自らも執筆活動をしているが、一方で、古書店も経営。卓越した歴史眼と資料収集力で知られる。本書にもその片鱗が随所にうかがえ、読む者を引き付ける。

秀吉の死後、その遺言により息子秀頼を立て、五大老・五奉行の合議制で行われることになったが、軍事力に勝りしだいに発言力を強めていったのが家康だった。しかし、石田三成、上杉景勝らの大名たちが反発し、反徳川の動きが起こっていた。

「慶長五年(一六〇〇)五月、家康は全国の大名に上杉景勝討伐の動員令を下した。昌幸・信幸の父子はこれに応じ、七月に下野国犬伏(現栃木県佐野市)に陣をしいた。出陣を前にして緊迫する真田の本陣に、反徳川の奉行たちからの密書が届いた。秀頼を立てて家康打倒のために挙兵するから参加するように、という勧誘の書状だった。」

松代藩事の重大さに気づいた昌幸は、息子である信幸、信繁(幸村)を自陣に呼び密談。結果、昌幸と信繁は石田方に、信幸は徳川方につくという選択をする。後世になって、「真田」の名を残すための昌幸の苦肉の策であるという説が有力視されているのだが、田中氏は「戦国時代にあっては、親子・兄弟が敵味方に分かれて戦うことはまれなことではなかった。」と冷静な見方を示す。

江戸時代に入り、上田城主真田信之(信幸)が移封され松代藩主になってからも、幾多のお家騒動、藩財政の逼迫、家老恩田木工による斬新な改革、維新の先覚者佐久間象山の功績など、最後の藩主幸民まで約250年の藩の歴史には興味深いドラマも多い。

松代藩松代の名物や伝統、「両雄の一騎打ちはあったのか」などのトリビア情報も面白い。「歴史をただ忠実にとらえるのではなく、そこに隠されたものも同時にあぶり出せたらと考えました。一人でも多くの人に松代藩のことを知ってもらえるきっかけになれば嬉しい」と著者は語っている。

光風舎
◆所在地 長野市東町177
◆問い合わせ ☎026-226-6180

長野県長野市長野東町177

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