●七瀬 –
人通りは少なくなっても昔の人情が生きる街。
心に灯ともす「行燈(あんどん)の町」七瀬。

七瀬通りで蕎麦屋「佐々木」を営む小坂一夫さん

「行燈で町を活性化したい」と
語る小坂さん

長野駅の東側に七瀬という町がある。正しくは、上千歳町、権堂町などと同様に鶴賀町に属するのだが、地元の人たちは古くからの呼び名で「七瀬」と言っている。

七瀬は江戸期から明治初期にかけては水内郡の一部で、七瀬川原村といった。慶長6年(1601)徳川家康が当村をはじめ長野、箱清水村、三輪村の一部を合わせ計1000石を善光寺に寄進。以来、七瀬村は善光寺領となった。それほど「七瀬」は歴史ある地名なのである。

東西に細長く延びた七瀬通りは、様々な商店が軒を連ねる賑やかな商店街だった。しかし、時代の趨勢で居酒屋や畳屋、花屋、薬屋などが相次いで店を閉め、今は昼間でもシャッターの下りた店舗が目立ち、通り全体に一抹の寂しさが漂う。

そんな現状を憂い、七瀬をかつてのような活気ある街にしようと奮闘している人たちがいる。その中心人物が、七瀬通りの中間近く、蕎麦屋「佐々木」を営む小坂一夫さん(72)だ。

「佐々木」は明治28年創業。以前は長野駅前に店舗を構えていたが、昭和26年七瀬に移った。現在、店は4代目の和彦さんに任せているが、一夫さんは、今でも白黒の水玉模様のヘルメットで出前のバイクを走らせている。

行燈「子供を守る安心の町ななせ」

夜はほんのりと灯がともる
七瀬の町

その小坂さんの隠れた才能。それは、味わいある行燈を巧みに作り上げること。街道の旅籠などで見かける風情ある行燈だが、小坂さんは仕事の合間を縫って全く自己流で仕上げていき、見事な作品を完成させる。屋根の部分に武将やアンパンマン、徳利など設置する場所にふさわしいアクセントを加えるのも小坂流。

「七瀬の町を行燈で埋め尽くしてくれと言われて、作り出したんです。行燈で町が賑やかになってくれればいいと思って作り続けて、今では24か所にもなったね」と目を細める。穏やかな優しいまなざしは誰からも愛され、学校から帰ったばかりの近所の小学生も「おじちゃん~」と言って駆け寄ってくる。

小坂さんの店の向かいに「街の駅」と書かれた小さな建物がある。近所の人たちの茶飲み場でもある「街の駅」は、もともとは花屋だった場所だが、店主の女性が亡くなったのを機に商工会に寄贈された。その前には「やさしい町ななせ」「子供を守る安心の町ななせ」と書いた巨大な行燈と手製の水車が回っている。

「街の人たちが気軽に寄り合える場所にしたいと、友人の畳屋さんたちに相談して、みんなで毎晩改修に汗を流しました。ここは誰でも休める場所。前は90歳を超えるおばあちゃんたちの拠り所にもなっていたし、遠くから見える人たちの休憩所にもなっているんだよね」(小坂さん)。

手作りの行燈が並ぶ「街の駅」

手作りの行燈が並ぶ「街の駅」

灯ともし頃。ひっそりとした七瀬の町には、ほんのりとやわらかい行燈の明かりが滲む。居酒屋、パン屋、寿司屋、時計屋、そして普通の民家の前にも…。七瀬には七瀬観音寺という寺がある。その参道が行燈に彩られ、参拝者たちのための洋品店や飲食店が建ち並ぶ「巣鴨のとげぬき地蔵」のような姿になってほしい。小坂さんの切なる願いだ。

蕎麦居酒屋・佐々木 長野市鶴賀七瀬南部445
☎026-226-7154

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